小学校二年のころ、女の子の顔面に靴をぶつけた。
下校中、女の子が前を歩いていた。
子供ながらに気になっている女の子だった。
僕は思いつきで「あーした天気になーれ」と靴を放る。
注意を引こうとしただけだ。
もちろん当てる気なんかなかった。あっやばい! と思ったときには手遅れだった。
タバコ屋の上に住んでいる色白で細身で背の小さい女の子の、高い鼻とクリクリした目の付いた顔面に向かって、靴がゆるい放物線を描いていた。
しゃがみ込んで泣いている彼女に駆け寄り、かかとの潰れた靴(晴れ)をひろい、
ごめんごめんねほんとにごめん。ごめんごめんてごめんねごめん。
そしてダッシュで逃げた。
その後のことはよく覚えていない。
彼女はしばらくしてから転校したのは知っている。
と、こう書いているうちに、気持ち悪いくらいその場面を思い出してしまった。
女の子の容姿もそうだが、木陰の差し方や、駆け寄るときに足元が泥ですべって転びそうになったことまで思い出した。
いろいろ思い出しちゃったんだけど、着ていた服についての記憶が全くない。
ぼくは人と比べて、服装に関する語彙が少ないとおもう。
もののなまえがわからないと、記憶もどんどんぼやけていくのだろうか。
ヨレヨレのシャツを見せられて、
これはワンピースですか? と聞かれたら
多分そうです。 と答える。
だいたいのものに多分そうです。と答えるとおもう。
ズボン、シャツ、パジャマ、ジーパン、あとスモッグ。
これ以外の単語は自信がない。
パーカー 不安
ジャンパー 怪しい
スウェット かなり怪しい。
レギンス (゚、。 )?
レギンスをうまく思い浮かべられない僕にとって、レギンス男子とサンタクロースは同じような存在なんですよ。
むしろ、サンタクロースの方がリアリティがあって身近に感じられるくらい。
コンビニでふと鏡を見ると、浮浪者がいて驚くことがある。
こりゃヤバイ。ちったあマシな服を着ればいいのになーとか思うこともあるが、
ヒゲがあるから浮浪者なんだ。ヒゲさえ剃っていれば大丈夫だろうということで、服装問題は先送りになる。
語彙が少ないせいで、服装について指摘されても
じゃあ下はこんな感じでー、上はこんな感じってこと?(右脳マニアもびっくりのビジュアルイメージ)
そういう理解しか、いまのところできない。
だってわかんないんだもん。
そうそう、あとアレがわからない。
アレっていうかあそこ。
わからないから文章に出来ないんだけど、あそこ。
アパートやマンションなんかについている、ちっちゃいベランダみたいなあそこ。
室外機専用スペース?
窓から落ちないための柵?
遊び半分で出ていくと、危ないからよせと怒られたあそこ。
手当たり次第にものを掴み、辺りかわまず振り回しているだけで脳内麻薬がでていたあの頃。
いつものように通学帽を指に引っ掛けて、ぶん回しながら下校していた。
自分の住んでいるアパートまで来ると、気が緩んだのだろうか、指からゴムがすっぽ抜けて帽子が二階の部屋へ入ってしまった。
「あそこ」だ。
焦った。
六年生からあずかった旗の棒を、フェンスに叩きつけて折った時よりも焦った。
小学生の自分が、学校以外の他人が絡むような事態と、身一つで対峙するようなことはなかなかなかったからだろう。
とはいえ、部屋は違えど同じアパートで暮らしている御近所さんである。
そしてぼくは小学生。
キチンと説明すればなんとかなるだろうと、とりあえず部屋を訪ねることにした。
インターホンにカメラは付いていなかったけど、結構緊張した顔をしていたと思う。
「はい」
女性だ。
「あの、ベランダのところに帽子が入っちゃいまして」
「ベランダですか?」
「えーとその、ベランダっていうか、あの・・・」
「ちょっと見てきますね」
……
「ありませんよ」
「あの、ベランダじゃなくて、ベランダみたいな、あの、反対側の、小さい部屋の方の・・・」
「はあ」
「えっとすいません。ゆびさしたらすぐわかると思うんですけど。ちょっと見てくれませんか」
東西南北の感覚がないので説明できなかった。ゆとりでごめんなさい。
「でも、ベランダにはありませんでしたよ」
「いや、その、ベランダじゃなくて、ホント、ゆびさせばわかるんですけど」
「……」
切れてしまった。
「…はい。」
男に代わった。
「えっと、帽子が入っちゃいまして」
「はい」
「ベランダみたいなところなんですけど」
「いや、ベランダにはなかったけど?」
ベランダにはない→ベランダじゃない指をさせばわかる→説明して→ベランダみたいなところ→ベランダにはない→……以下ループ
それでも探してくれていたのか、しばらく問答があった末、チェーンの掛かったドアから気をつけろよと言って帽子をさしだしてくれた。
あのあと、
子供相手に警戒することないじゃんか!さいきんのワカイモンはけしからん!プンスカピー!ってなってたけど、
最初に「○○号室に住んでいる○○ですけど、」と名乗る常識があれば、こんなことにはならなかったんだよね。
ここまで書いて、もう一つわからない事がでてきた。
マンションとアパートの違いがわからない。
僕の住んでいたのは一体どっちなんだろう?
コーポ?ハイツ?なんなんだ?
もうダメだ。わからん。好きに想像してください。
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