好きが止まらないブログ

2011年2月25日金曜日

やっぱりブログは定期的に書かないとだめだヨ!

と心の声が囁くんだけど、無理だよそんなん。
放送で全部ネタ使っちゃうし。

でもそれは間違ってる。。
ものは使えるかどうかじゃない。どう使うかなのだ。
生きてれば記憶は蓄積されるのだし、日常が営まれているのだから、ネタになりそうなものはどこかにある。
ネタは探してつくるものなのだ!

わかるわかる。
それはなんとなくわかるけど、一回放送でネタを吐きだしてしまうと、近い話題や同じような流れなったとき、過去の自分の発言に引きずられるような癖ができちゃってる。

小学校かなにかで、なにかを作る課題がでたとき、課題の説明を受けている間はいろいろ思いつくのに、例が挙がった途端それにひっぱられてなにもできなくなるアレに近い。

そうなったら僕にできることは、例の改変と他所から拾ってきたものの引用くらいだ。

「例の改変と引用くらいだ」なんていうけど、本当にそれ以外になにか出来ることがあるのだろうか?
外にあるものを真似して、それを繰り返すことで血肉化する。
いくら自分のものとおもっていても、たどっていけば元ネタがあるのだ。

自分の言ったことをを再現していくと、一度目とは違う視点で眺めることができる。
改変や引用によって、自分の話全体がどう変わるのか知ることもできる。

話のどの部分が、どのような印象を与え、どのうような役割を果たすのかがわかっていけば、より効率よく自分のしたい話ができるはずだ。

落語や歌舞伎などの古典芸能は、繰り返しによって洗練されていった。
今の落語の枕は、雑談の様な形になっているけど、その日する噺のテーマと絡めた内容で、テーマになにげなく注意を向けながら、現代から古典の世界へ移行していく。
あれは立川談志がはじめた形なのだそうだ。
「落語っていうのは~」なんて入り方もおおい。

噺家は同じ噺繰り返しながら、メタ視点を観客と共有するところまできた。

改編や引用、繰り返しを良しとしないのが間違ってるのだ。




だから、放送で言った内容と被ることがあってもいいじゃん!
まんま誰かの受け売りでもいいじゃん!(今回みたいに)


言い訳終わり。

ブログに慣れるまで、放送で言った内容まんまってことがあるとおもいます。
配信みてくれてるひとごめんなさい。

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