好きが止まらないブログ

2011年3月8日火曜日

ゆめ

頭を打ち抜かれる夢を見た。
ミラ・ジョボビッチが、傷ついて動けなくなっている僕に向かってツカツカ歩き、額に銃を突きつけたかと思えば、間髪入れずに頭を打ち抜いてしまう。
「あんたはもう用済みよ。」

起きたあと、死ぬ感覚が妙にリアルだったので少しポカンとしていた。
ドンと骨に響くような衝撃があって、ゆっくり痺れて感覚が消えていく。痛くもないし、苦しくもなかった。
当然、ぼくは銃で撃たれたこともなければ死んだこともない。
手術もないし、麻酔の経験すらない。

では、この感覚はなんだろうかと考えてみると、まず立ちくらみが思いあたる。
すーっと血の気が引いて、末端の感覚がどこかにいってしまう。
風呂場で立ちくらみになって蛇口に顔をぶつけたことがあるが、違和感があるだけで痛みはなかった。血の気が戻ったあと口の中が切れていることに気付き、しばらくしてから腕と内腿に痣ができているのを知った。口が切れたのはなんとなく理解できるが、体がどんな状態だったのかさっぱりわからない。

それから、もうひとつ体の痺れで思い出すのは小3のころの喧嘩だ。
喧嘩といっても子供同士ではない。相手は学童保育の指導員。30前後の立派な大人であった。

なんでそんなことになったのかよく覚えていない。
時空手を習っていたぼくは調子にのっていたのかもしれない。
もしかしたら誰かをイジメていたのかもしれない。
よくわからない。

彼に立ち向かおうとした時、ぼくの体はすでに浮いていて、天井と壁がぐるぐる回り、地面を探していると、頭を叩きつけられた。
息が詰まり、骨の奥までジーンと痺れた。

大きなけがをしたことはないので、きっと手加減してくれていたのだろう。

いつだったか、親と学童の話題になり、あのときはびっくりしたけどあれがあってよかったと親が言っていた。

あの時投げ飛ばされた経験が、今の自分にどんな影響を与えているのだろうか?
おそらく成長できてよかったと言うべきところなのだろうが、経験してない自分を知らないのでなんとも言えない。